第3回研究会の開催報告

研究会報告

2019年7月27日(土)に、学習院大学文学部において、同大学フランス文学研究室との共催として、フランス抒情詩研究会の第3回研究会を開催いたしました。本報告は、私、廣田大地(神戸大学准教授、専門:ボードレール研究)が担当させていただきます。

発表者と発表題目は、以下の通りです。

  • 五味田 泰「詩法から考える19世紀フランス抒情詩」
  • 中野 芳彦「ヴィクトル・ユゴーの抒情性」

当日は、上記発表者のお二人を含めて、フランス詩関連の研究者や、学習院大学仏文の院生の方々など、17名の参加者がありました。研究会においては、学習院大学出身で、本研究会の共同代表者である中山慎太郎さんに司会を務めていただきました。

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一人目の発表者である五味田さん。19世紀のフランス詩人テオドール・ド・バンヴィルを主な研究対象としつつも、詩人の個別研究の枠組みに留まることなく、これまでフランス詩における韻律について広く研究をされてきました。

今回の発表では、まず、脚韻や詩節、音節数などに関して、Jean-Michel GouvardやBenoît de Cornulierといったこの分野を代表する研究者による研究を中心に、19世紀から今日にいたるまでのフランス詩の韻律に関する研究史を概観していただきました。

その上で、19世紀フランス詩における韻律上の特徴を明らかにすべく、主にユゴー、ボードレール、バンヴィルの3名の詩人の作品を中心に、古典主義と比較した際の韻律上の革新的な点を論じていただきました。その際、重要な要素となるのが、proclitique(注:「後接語」などと和訳されるようです)という、それ自体には発音時にアクセントが置かれず、必ず後ろ(あるいは前)の語にアクセントが置かれる語です。前置詞、冠詞などがこれに該当します。このproclitiqueを巧みに用いることで、上記の詩人たちは、本来6・6に分かれるべき12音詩行(アレクサンドラン)の詩句を、4・4・4に分けることに成功したとのことです。

また、19世紀のフランス詩におけるもう一つの特徴として、脚韻の組み合わせによる新たな詩節(ストローフ)パターンの開拓という試みも、やはり主に上記の詩人たちによってなされていました。そこには同時代のシャンソンからの影響もありますが、それだけでなく、例えばバンヴィルが「Nous n’irons plus au bois…」という詩篇で実践したAbAbCCbAbAという脚韻の組み合わせは、シャンソン的な繰り返し(リフレイン)を用いつつも、それを文学的な高みにまで引き上げたものとして評価できるとのことです。

以上、本報告では、五味田さんによる発表の概略を紹介させていただきましたが、発表において引用された詩句無しには、詩句の形式に関する具体的な論証を中心とする、本発表の魅力を十分にお伝えすることができていないかと思います。五味田さんは、2019年10月27日の仏文学会(@近畿大学)でのワークショップでも、バンヴィルの抒情性とシャンソンの関わりについてご発表いただく予定ですので、ご関心がある方は、ぜひそちらにもお立ち寄りください。

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二人目の発表者は、ヴィクトル・ユゴーを専門とする中野さん。「ヴィクトル・ユゴーの抒情性」という大きな主題に取り組んでいただきました。19世紀フランス文学の中心的存在であり、演劇・小説・詩それぞれにおいて、60年以上にわたる長い執筆生活の中で多様な作品を生み出してきたユゴーという人物について、その抒情性を論じるのは一筋縄では行かないことは当然ですが、それにも関わらず、本発表では、ユゴー作品や書簡、遺稿、周囲の人々の証言、研究者による先行研究と、幅広いコーパスを用い、様々な角度からユゴーを照らし出すことにより、「抒情詩人」としてのユゴー像を浮かび上がらせることに成功していたように思われました。

特に今回の発表において、中野さんは、一年前に本研究会で行われた「ボードレールの抒情性」において提示されたボードレールによるユゴー批判をひとつひとつ丁寧に取り上げ、それをユゴー側から反駁することで、少しずつユゴーの抒情性の性質を明らかにしていくという論法をとってくださったため、私をはじめ、会場に出席していたボードレール研究者にとっては大変興味深い発表となっていました。

まず、中野さんは、ユゴーの知名度にもかかわらず、今日、その抒情詩がそれほど読まれていないという事実から論を始めます。その理由の一つとしては、ユゴーの抒情詩一つ一つがそれ自体で完結したものとして作成されておらず、他の演劇作品や同時代の出来事との関連の中で作品が成立していたという点があるとのことです。その結果、独立した詩篇として比較的読みやすい、娘レオポルディーヌの死を悼む詩篇(Demain, dès l’aube…)だけが読まれることになり、今日における非常に限定された抒情詩人ユゴーのイメージが出来てしまったとの見解を述べられました。

本報告においては、充実した発表内容のすべてをご紹介することはできませんが、いくつか重要な観点を以下に挙げておきましょう。

  • ユゴーの抒情詩はpittoresque視覚的・絵画的なものであることを本質としている。
  • ユゴーは、そのヘーゲル的歴史認識の中で、抒情詩だけでは時代の要請にこたえることは不可能であり、演劇との相互補完が必要であると考えていた。
  • ユゴーにおける抒情的才能は、「仮説」を生み出し、その積み重ねによって「真理」に辿り着こうとするものである。
  • ボードレールが批判した、ユゴーにおける教育的・啓蒙的傾向は、たしかに抒情詩の本質とは馴染まないものの、ユゴーはその19世紀前半のフランス読者たちを教化することで、彼らに想像する力、すなわち抒情詩を味わう力を伝えることができたのではないか。

本報告では十分にまとめきることが出来ませんでしたが、中野さんの発表はこれまでのご自身の研究の豊かな蓄積を物語るものであり、また今後に関しても、たとえば晩年のユゴーにおける抒情性の問題など、ユゴー抒情詩研究のさらなる発展を大いに期待させるものでした。

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